大学時代の恩師
久々の投稿ですが、悲しいお知らせです。私の大学・大学院時代の研究室の恩師が先週亡くなりました。
1977年、東京都立夢の島総合体育館で日本建築学会賞を受賞された、元坂倉建築設計事務所所長の阪田誠造先生です。近代建築家の3大巨匠の1人で、最近国立西洋美術館が世界遺産登録された建築家ル・コルビジェの弟子・坂倉準三氏の後、西沢文隆氏と共に坂倉事務所を繁栄させた方です。87歳でした。
東京都立夢の島総合体育館
思い出は沢山あります。
1つは「好きな建築家を酷評せよ」という訳の分からない課題を出された時、安藤忠雄氏の住吉の長屋(1979年日本建築学会賞)を、「コンクリート打ち放しは人間の生活に合わないから住宅としては不適!」と言ったとき、「お前は安藤忠雄の真意がわかっとらん!」と一蹴されたことです。今でも腑に落ちていません(笑)というのは冗談ですが、1学生の稚拙な中身の薄い、ただ単なる好みの発言だったと今では思います。まだうっすらですが、なんとなく、この住宅の持つ意味が理解できてきた頃かと思います。
住吉の長屋
2つ目は、先生が設計された聖イグナチオ協会の見学会後、すごい建物だったので感動を先生に伝えた中で、「何か外観のリブみたいなものが雨樋に見えて惜しい!」と同期の中で超失礼な話になった時に先生が真っ赤な顔をして怒られたことです。70歳にもなる先生が、20歳そこそこのまだ建築の「け」の字も知らない発言にカッとなる先生がとても可愛く感じ、又、建築に対するプライドというか熱い思いを感じたのをよく覚えています。私はこんな建物、おそらく一生かけても設計できません。ということが大人になって分かります。
聖イグナチオ教会
先生が亡くなるほんの数日前、昨年出版された「建築家の誠実-未来へ手渡す」(建築ジャーナル)を読んでいました。そこには、我々が卒業してすぐくらいに先生のご自宅で研究室のみんなで写った写真が載っていました。まさか自分が先生の本に載っているとは・・・(米粒くらいですが)。一歩も動けなくなりました。
ご冥福をお祈りします。
先生、私は広島で理想の建築目指して頑張ります。